My hero,my mystery

特撮ヒーローとミステリの話 オリジナルミステリ小説を公開するブログです

オリジナルミステリ小説 サファイアの憂鬱 ②

    Ⅰ

 空に向かってすんなりと伸びた黄金コノテヒバは二メートル近い高さになる。太陽の光を受けて、その名のとおり金色に輝く葉をつけた樹木に囲まれた広い敷地、そしてそこにそびえる三島邸別宅。間近で見る建物は想像以上に大きく、重厚で瀟洒な館だった。豪奢な造りは写真で見るよりもはるかに風格がある。英国調の格式高い趣、美術品でいえばアンティークといった風情だろうか。

 あとで聞いた話によると、伊豆高原に建てられたプチホテルが経営不振に陥り、売却処分しようとしていたのを買い取って、わざわざここに移築し、個人の別荘向きに改装したとのこと。持ち主は余程この外観がお気に召したようだ。

 建物のほぼ中央に玄関があり、それに並ぶ南向きの窓は向かって左に比べて、右側のものが大きく、その前に広がるのはイギリス庭園を模して造られた庭。小さな噴水を備えた池もあるが、鯉などは泳いでいない。

 西側の壁に沿って、五台以上の車が余裕で停められる広い駐車場があり、奥に白い大型の国産車とグレーのワンボックスカー、手前にはドイツ製の黒い高級外車が駐車してあった。その隣に赤の車、次に銀の車が並ぶ。あと二台ぐらい入りそうだ、高級車のみを扱う高額所得者狙いの展示場のようである。

「清水くんたちはもう到着していたのか、早いなあ」

 黒い車を見た登志夫の呟きを聞き咎めた創がそちらを見ると「ああ、俳優の清水圭介(しみず けいすけ)くんですよ」と答えた監督は車のトップを閉めたあと、荷物を降ろしにかかったが、彩音は手ぶらのまま、辺りをきょろきょろと見回している。

「それじゃあ、アタシたちはこれで」

 役目は済んだとばかりに、再び乗り込もうとする総一朗に気づくと、登志夫は慌てて引き止めにかかった。

「せっかくの機会ですから三島先生に会ってくださいよ。同じ別荘地に建物があるわけだし、ご近所じゃないですか。総一朗さんなら歓迎されますよ」

「こんな奥地じゃ、ご近所って言わないと思うけど」

 三島本人とここで顔を合わさなかったのを幸いに、このまま自分の別荘へ戻ろうとする総一朗の目論見ははずれた。玄関の扉が開いて、エンジンの音を聞きつけた数人の若者が出てきたからである。

「岡部監督、彩音ちゃん、遅かったね。俺たちは一時間も前に到着したんだよ」

 そう声をかけてきたのは黒い車の持ち主、清水圭介だ。くせのない髪にすらりとした長身、王子様だの貴公子だのといった形容をされる端正な美貌で年齢は二十八歳。少し前まではゴールデンタイムのドラマで主役を務めたこともあったが、浮き沈みの激しい芸能界で先頭を走り続けるのは難しく、今はメロドラマの相手役などを中心に活躍している。

 荷物を持ちましょうと手を差し伸べたのは蒲原良太(かんばら りょうた)で、こちらは二十五歳という齢のわりに子供っぽい容貌、アイドル系である。親しみやすいキャラクターのせいか、ドラマよりもバラエティ番組の司会、クイズのゲスト解答者といった仕事が多い。

 良太のうしろから顔を覗かせているのは最近売り出した巨乳のグラビアアイドル、十八歳の興津唯(おきつ ゆい)であり、登志夫と彩音の顔を恐る恐る、交互に見ている。集められたメンバーの中では新人とあって、諸先輩方に遠慮をしているようだ。

 圭介はモスグリーンのTシャツの上に、カーキ色のワイシャツをジャケット代わりに羽織っている。良太は白と紺のボーダー柄のポロシャツ、唯はオレンジ系統のペイズリーのチュニック。三人とも下はジーンズで、画面の中のスタイリッシュなファッションはもちろんのこと、普通の若者と同じような格好でも、それぞれキマッているのはさすがである。

 登志夫とは仕事の関係で全員顔見知り。この三人が圭介の運転する車で、連れ立ってここまで来たらしい。迷路のような道も野生の勘で突破したと、ナビゲーターを務めた良太が自慢げに言った。

「あれ? 監督、ボクたちの他にもパーティーに招待された人がいるんですか? 全部で六人だって聞いてたんだがなぁ」

 良太の視線の先にいたのはもちろん、総一朗と創だが、気になるのは同世代の人間のようで、創に焦点を合わせて訊いた。

「見慣れない顔だけど、ミュージシャンの方ですか?」

(ミュージシャン、って、そうか、この格好のせいかな)

 黒地に龍だの剣だの、物騒なものが銀色で描かれたTシャツと、ボロボロに破れたジーンズ、首にはシルバーメタルのチェーンに足元はくたびれたスニーカー。ハードロック系を目指す、貧乏ミュージシャンのような服装が目下、創のお気に入り・定番ファッションなのだ。

「監督って、音楽業界の人ともお知り合いだったの? ワタシには次の特撮の主役に抜擢された新人さんに見えるけど」

 これは唯の意見である。眩しそうに創を見ながら続けた。

「背が高くて、そうね、八頭身じゃないかしら。運動神経も良さそうだし、アッシュブラウンのウルフヘアとか、ワイルド系のルックスが子供向けの特撮番組で、ヒーローに変身して闘う役柄がぴったりくる感じ」

「それってイケメンヒーローのこと? そっち出身のスターがいっぱいいたけど、それなら、ゲンの候補者ってことはないけどなぁ」

「なるほど。加瀬くん、イケメンヒーローだそうですよ。これはいい、今度、私の映画に出演してもらいましょうかね」

 次々と現われるテレビの向こうの住人たちを前に、すっかりアガッていた創はみんなの賛辞やら、登志夫の冗談を聞かされて、ますます真っ赤になった。

「オ、オレがイケメンヒーローですか? それ、スカウトってこと? えっ、映画出演なんてどうしよう?」

「……バッカみたい。演技の経験なんて、まるでナシのくせに。浮かれる暇があったら勉強したら? パチンコばっかりやっていないで、たまには講義に出なさいよ」

 しらけた反応の挙げ句、争点をずらす総一朗に「あの人はマネージャーですか」という質問が投げかけられて、教授のプライドは散々なものとなってしまった。

「今回の集まりは各自マネージャー抜きで、って聞いていたんですけど」

「誰がマネージャーよ!」

 すっかりおかんむりの総一朗をなだめると、登志夫は自分たちが一緒に来た経緯をかいつまんで説明した。

「そうでしたか、大変失礼しました」

 良太が素直に頭を下げる。画面から受けるイメージと同じ、なかなかの好青年だ。

 と、そこへもう一人、玄関を開けて出てきた者がいた。細身の身体に白いシャツをまとい、黒いカフェエプロンをかけた、地味でシンプルながらもスマートな装いで、齢のころは三十前後。抜けるように白い肌と、ひとつに束ねた長い黒髪が衣装に合っている。

「皆様、遠いところをよくお越しくださいました。さぞお疲れでしょう、どうぞ中へお入りください」

 柔らかく、優しい声が聞こえたかと思うと「うわぁ、キレイな人」と彩音が驚嘆した。三島宣昭の秘書という役割を仰せつかっている大東薫(だいとう かおる)は客人たちを建物の中へと案内し、皆、ぞろぞろとあとに続いた。

 失礼する機会を逃した総一朗と、舞い上がりっぱなしの創も行きがかり上、お邪魔する羽目になり、六人の後ろについて歩く。

 頑丈そうな鉄製の扉が左右に開かれた。別荘の玄関にしては大袈裟な感じの扉に、三畳近くあるスペース、元がプチホテルなのだから当然ではある。右側は飾り棚になっていて、堂ヶ島の風景の入った額縁が掛かり、その下には季節の花を生けた青い花瓶が置かれ、涼しげな雰囲気を演出していた。左側は作りつけの大きな靴箱が天井に届く高さまでそびえ、三分の一ほどの面積に鏡が張ってある。全部が靴用というわけではなく、雑貨の類も収納されており、玄関まわりがすっきりと片付いている理由はそれだった。

 玄関から奥へ、つまり北に向かって真っ直ぐに伸びる廊下は幅が二メートル近くもあり、廊下というよりはホールと呼んだ方がよさそうだ。ホールには幾つかのドアが面しており、左側に三つ、右側は手前にガラス入りの引き戸があって、これがリビングの入り口となる。さらに、奥に一つ、左側のものと同じブロンズ色のドアノブがついた木製の扉はキッチン用のドアだ。

 収納し放題の靴箱に脱いだ靴を入れて、用意されたスリッパに履き替えると、ホールの隅に荷物をまとめて置いた一行は引き戸を開けてリビングの中へと進んだ。

 そこは日本を忘れさせる、ゆったりとした空間だった。広さは三十畳、いや、それ以上あるだろう。フローリングの床に敷きつめられたキャメルの絨毯が柔らかい雰囲気を醸している。

 北の方向、キッチン側の壁寄りに十人ほど座れそうな、白いテーブルクロスのかかった大きな食卓、部屋の中心にはアイボリーの生地に刺繍を施した上品なデザインのソファが五脚置かれ、どの席からも庭が見渡せるように配置してあった。

 調度品はすべて輸入物らしく、メイド・イン・ジャパンは南西の角に置かれた大型の液晶テレビだけである。絨毯や家具とのバランスが考慮されたカーテンはベージュの地に金の模様で、レース製のそれと共に、今は片側に寄せてあり、覆うものが何もない窓の外には先程目にしたイングリッシュガーデンが広がっていた。

 建物の中でもっとも大きい、南側のこの窓は庭へ通じていて、玄関をまわらなくても表に直接出られるようになっている。黄金コノデヒバの囲いの向こうは空き地とあって、遮るものが何もないせいか、晩夏の日差しは遠慮なく室内に降り注いでいた。

 街中よりはマシだが、気温はそれなりに高く、せっかくの別荘も避暑地とは呼べない。「暑いですね」と言って、薫は半開きだった窓を全開にした。それから、天井より吊るされたシーリングファンのスイッチを入れた。銅色に鈍く光るファンはかなりレトロな代物で、ゆるゆると回り始めたはいいが、動かしたせいで、はずれて落っこちてくるのではと心配になる。エアコンは一応装備されているが、ここの主人が嫌うので、余程のことがないかぎり使用されないようだ。

 さっきまでソファを陣取っていたらしい圭介が再びそこを占拠し、その横に彩音がちゃっかりと座っている。良太が空いたソファを勧めてくれたが、それに応じたのは登志夫だけで、唯は遠慮がちに、片隅に座った。

「皆様お揃いのようなので、三島を呼んで参ります。しばらくお待ちください」

 到着して一時間もの間、圭介たちはこのリビングで待ちぼうけを食わされていたらしく、溜め息をついた。

 それぞれエリナ候補、ゲン候補と目されるのはありがたいが、何が楽しくて辺鄙な伊豆の奥地まで、わざわざ足を運ばねばならないのか。みんなの心の叫びが聞こえてくるようだ、作家の御機嫌伺いも楽ではない。

 招待客リストに入っていない二人組はソファから離れた位置、十脚ある食卓の椅子のうち、端の二つに腰を下ろしている。薫が引き戸からホールへ出たのを見ると、総一朗は創に小声で囁いた。

「自分から招待したんでしょう。お客が来たのに秘書任せで、今まで挨拶もせずにいたのかしら。呼びつけておいて失礼よね」

「江戸時代の将軍様みたいだな。『あの者たちは次の間にしばし控えさせておくがよい』ってなノリだろ」

「『苦しゅうない、近う寄れ』なんて言い出すかもよ」

 さっき全部吐き出したはずなのに、またまた悪口のネタが蓄積される。

 やがて、将軍様ならぬベストセラー作家がお出ましになった。

「やあやあ、岡部さん、お久しぶりですね。皆さんも遠いところをご足労さまでした」

 三島宣昭は登志夫より少し若く、四十代前半ぐらいか。身長は百八十近くあり、肩幅も広くてがっちりした体躯の持ち主だった。

 野外ロケで日焼けでもしたせいだろうか、我らが監督は肌が黒いが、それに比べると色白、室内作業に従事する者といった感じである。取り立てて美男子ではないが、品のいい温和な顔立ちからして、いかにも育ちの良さそうなタイプだ。

 高級ブランド製の紺色のワイシャツにグレーのスラックスを履いた作家はまず、映画監督に握手を求め、立ち上がった監督から、初対面の俳優たちが次々に、それに応じた。

 五人との握手が済むと次に、登志夫の口から総一朗と創が紹介された。

「……というわけで、私が無理を言って、ここまで来てもらったんですよ」

「ほう、それはそれは」

 宣昭のにこやかな視線を受けて、総一朗と創は同時に会釈をした。

 実際に本人と対面してみて、我儘勝手なお殿様という悪いイメージはいくらか払拭されたが、だからといって即、株が上がったわけでもない。

「同じ土地に別荘がありながら、ご挨拶もなしで申し訳ありません」

「いいえ、こちらこそ。有名作家の三島先生のお宅があるなんて存じ上げずに、大変失礼いたしました」

 澱みなくしゃべったあと、挨拶も済んだし今度こそ帰るつもりでいた総一朗はお昼を一緒にいかがですかと誘われて、またしても機会を逸する羽目になった。

 時計を見ると午後二時が近い。遅めの昼食とあって、夜のディナーに響かない、軽いものをと注文を受けた薫はうなずき、北側の壁の中央にある引き戸──木製でガラスは使われていない──を開けると、中へ入って行った。キッチンへはホールから出入りする他に、リビング内から直接行き来できる造りになっているのである。

 食卓があるから、ここはリビングダイニングと呼んだ方が正しい。全員がそちらのテーブルへと移り、宣昭を挟むようにして右に彩音が、左に唯が座った。美女をはべらせての御機嫌とり、という作戦なのか。

 彩音の隣に圭介、唯の隣に良太が座る。対面する席の真ん中、総一朗の隣に登志夫が座って宣昭と向かい合わせになり、その場の会話は専らこの二人によって進められた。

「ここではいつも先生と大東さんのお二方だけで過ごされているんですか?」

「ええ。場合によっては掃除や洗濯を手伝ってくれる通いのお手伝いさんを呼びますけれど、近所といってもかなり距離がありますからね。薫くんが街へ買出しに行くときに迎えに行って、帰りは家まで送るという、送迎サービスつきですよ」

 駐車場に停めてある奥の二台のうち、ワンボックスカーが買出しと送迎に使われているのだ。

 昨日はそのお手伝いさん登場で、みんなが泊まる部屋の掃除から、食事の下ごしらえなどを手伝ってもらったようだが、普段は薫一人で切り盛りしている。

 調理師の免許を持ち、料理の腕前はプロはだし。ヘタなレストランのシェフより達人だという話で、朝昼晩とお任せなのだが、何しろ一人では行き届かない点も多々あり、セルフサービスでやってもらう場面もあるけれど、あらかじめ承知してくれと言われて、皆一応は納得した様子を見せた。それにしても秘書という名目の下、掃除だ買い物だ料理だと、家政婦のような仕事までもやらされているのだと思うと、いくらか同情を禁じ得ない。

 すると、またしても総一朗が耳元で囁いてきた。

「愛人だからよ。間違いないわ」

「へっ?」

「愛人だから文句も言わずに、どんな仕事も引き受けているのよ。尽くすタイプなのね」

「マ、マジかよ」

「あら、雇い主と秘書が愛人関係なんて、珍しくも何ともないでしょ。ありがちなお話じゃないの」

「そりゃそうだけど……」

「そんなことで驚いてるなんて、イケメンヒーローは案外ウブなのね」

「バ、バカにすんなよ!」

 ムッとした創は唇を尖らせ、その様子を見た総一朗は含み笑いをした。

 宣昭は二十代の頃に一度結婚して失敗したバツイチだと聞いた。子供もなく、離婚調停は円満に解決したらしい。

 その後は再婚もせず、気ままな独身で通しているが、愛人がいるから再婚しないのか、再婚したくない、結婚はもうこりごりだから、愛人で満足しているのか。そこらは本人でなければわからない。

 薫が出入りしている引き戸の横、壁にぴたりと寄り添うように食器棚と大型の冷蔵庫が置かれていて、中にはジュース、ウーロン茶からビールや白ワインなどのアルコール類など、様々な種類の飲み物が大量にストックされている。

 お好きなものを好きなだけどうぞと勧められた若者たちはさっそくグラスを出してきて、好みの飲み物を注ぎ始めた。フリードリンクに慣れている世代はセルフサービス大いに歓迎、なのだ。

「どうですか、ビールでも」

「いや、私はあまり飲めないので」

 登志夫はそう言ってやんわりと断ると、良太に頼んで持ってきてもらったジュースを飲みながら、ぐるりと室内を見渡した。

「いやあ、この部屋は、というか、向こうの壁はすごいことになってますね」

 その言葉に反応した創も東側の壁に目をやった。窓を挟んで左右に設けられた高い戸棚にはおびただしい数の美術品、装飾品の類がところ狭しと並んでいた。

 それらの大半が海外のいずれかの国で買い求めたらしいアンティークで、骨董品など興味がない、価値のわからない創にはただのがらくただが、中には美術的価値が高い物も多少あるらしく、登志夫も総一朗も感心したように見ては頷いている。

 西側にはホールに出る引き戸がある関係からか、骨董品用の棚は置かれていないが、その代わりに数枚の絵画が掲げてあった。これらの絵もヨーロッパのどこかの風景やら外国人女性の肖像画などで、このオッサン、相当外国かぶれだなと思っていると、宣昭の父親が貿易関係の会社を経営していると聞いて、納得がいった。

 別荘本体もイギリス風を選んだのは当然で、一年の大半を海外で過ごしていた父親に同行し、外国に住む機会が多くなった息子の小説、セレブ探偵の舞台がヨーロッパ中心なのもそのせいだ。

 そんな父が趣味で買い集めた骨董品の数々は東京の自宅に収まりきらずに、一番近い伊豆の別荘へ持ち込まれたというわけである。もっとも、高級な品は自宅に、ここにあるのは万が一盗まれても惜しくない程度のものらしいのだが、金持ちのやることはよくわからない。

「この建物の内部の装飾に使うという名目ですが、まあ、倉庫代わりみたいなもんですよ。せっかく買った品を蔵のような場所にしまい込むのはけしからん、鑑賞してこそ値打ちがあるという父の意見を尊重したら、こんなごたごたと落ち着かない部屋になってしまいましてね」

 父の趣味に辟易している様子の息子はどの部屋にも──自分や薫の寝室は言うに及ばず、客室から書斎、キッチンまでも──秘蔵のコレクション・骨董品と絵画が飾られているが承知しておいて欲しいと付け加えた。

「それにしても、その様子では、お父様の会社は相当儲かっているんでしょうな。あとを継ぐ気はないのですか?」

 セレブを地でいく宣昭に、やっかみ混じりの言葉が浴びせられると、作家のセンセイは平然とした顔で言ってのけた。

「父は七十を過ぎてますが、老いてますます盛んというやつで。義理の兄である姉の婿も仕事を手伝っていますし、私の出る幕はまだまだなさそうなので、好きにさせてもらっています。せっかく大学の文学部を出たものですから、道楽でこんなことをやっているんですよ」

 門外漢の創ですらも、宣昭の発言にはカチンときた。本人には決して悪気はないのだろうが、その表現に配慮が欠けていて、よくぞ言葉を扱う仕事をやっているものだと呆れてしまう。人生において──それも四十年以上──何の苦労もなく育ってきた者に見られる、ありがちな短所である。

 年齢のわりには子供っぽい、つまり大人になりきれておらず、周りへの気配りができない。こういう性格だから、忙しいスケジュールを何とか都合して、遠くからやって来た客を待たせて平気でいられるのだ。

 自分で何ら稼ぐ必要のない、金持ちの息子の道楽。片手間で小説を書かれた挙げ句に、それが当たってベストセラーになった日にはいくら才能の違いだと言われても、本気で作家を目指す人にとって、相当頭にくる存在だと思う。

 作品が映画やドラマに採用されれば、それ相当の収入になるが、宣昭がセレブ探偵の映像化に乗り気でなかったのは自分の作品への評価にも、それによってもたらされる収益にも興味がなかったから、という理由だ。

 自分の名義になっている東京のマンションを抜け出し、父が所有する各地の別荘を気の向くままに渡り歩く。ふらりと外国へ行ってしまうのも日常茶飯事で、担当者泣かせは相当のものらしい。

 そんな宣昭の気が変わったのはなぜか。そこらの事情を訊いてみたいが、切り出すわけにもいかず、そこへ薫がサンドイッチを盛った大皿を運んできた。

「大変遅くなって申し訳ありません」

 そう言い訳しながら、三枚の大皿をテーブルの真ん中に並べ、取り皿とコーヒーカップを配ると、ポットからそれぞれのカップにコーヒーを注いだ。香ばしい匂いがたちまち室内にたちこめる。空腹を抱えた人々はめいめいサンドイッチに手を伸ばし、創も勧められるまま、それを頬張った。

「美味い! 本当にお料理上手ですね」

 みんなから寄せられる賛辞に、薫は頬を薄く染め、軽く頭を下げて「ありがとうございます」と答えた。

「アタシ、料理は全然できないの」

 自慢することではないのに、彩音の口調は自慢げに聞こえた。

「いいなぁ、薫さん。肌もめちゃめちゃキレイだし、羨ましいわぁ。どんな洗顔使ってるのか、こっそり教えてよ」

「特別なものは何も……普通の石鹸ですよ」

「ウッソー、隠したってダメよ」

 薫に絡む彩音を微笑ましそうに見ながら、「皆さん、今夜の夕食も楽しみにしていてください」と宣昭は満足げに言い、来客たちにコーヒーをおかわりするよう促した。

 それから、東側の壁を片手で示すポーズをとった。

「先程申し上げたとおり、父はマニアと呼んでもいいほどの骨董好きでヨーロッパかぶれですが、私はほとんど興味がありません。私の興味を引くものは宝石で、集めているうちに結構な数になってしまいました」

「宝石ですか?」

 登志夫も初耳らしく、そう聞き返すと、宣昭に満面の笑みが宿った。

「子供の頃からキラキラ光るキレイな石が大好きで、この子はカラスじゃないかとからかわれたこともあります」

 ここにも幾つか持ってきたようで、宣昭はあとでそのコレクションをお目にかけようと約束した。

「ところで、天さん、というのは呼びづらいので、総一朗さんでよろしいですか?」

 総一朗の特異なキャラクターに驚く様子もなく、宣昭は親しげに語りかけた。

「ええ、何とでも呼んでやってください」

「では、総一朗先生で」

「ちょっとこそばゆいですけど」

 そう言って、総一朗は面映いといった顔をしてみせた。このキャラクターに対して、天総一朗という、大袈裟で、少なくとも女性的ではない名前が似合っているのかどうか、それは各自の判断に委ねたい。

「私は父の会社の仕事にタッチせず、作家稼業なんぞを続けていますが、あなたもお父様のようなエリートサラリーマンを目指すつもりはなく、大学の先生を選ばれたわけで」

「まあ、そんなところです。選んだというよりは、成り行き任せだったんですが」

 男子が多い理科系学部の教授、若い学生たちに囲まれてのパラダイスな日々。本当の目的はそこにあったのではと思われるが、誰も触れずにいる。

「やはり、会社員よりも自由な仕事が良かったと? だとしたら私たちは気が合いますね。私はどうもサラリーマンというのが苦手で」

 総一朗は小首を傾げた。

「そうですね、苦手じゃないんですけど、こういうキャラですから……父なんて顔を合わせるたびに、まっとうな男になれだとか、早く結婚しろ、って口を酸っぱくして言うんですよ。お見合い写真を受取人着払いで送ってきたときはホントに頭にきました。あの人、すっごくケチなのよ」

 その場に笑いの渦が巻き起こる。初対面の人々、それも華やかな芸能人たちに自分の語りがウケたとあって、上機嫌の大学教授はそれなりに金持ちのはずの父親をケチネタでこき下ろし続けた。

「向こうは東京で、こっちは横浜に一人暮らしなんですけど、昨日、別荘を使わせて欲しいって、久しぶりに電話して頼んだら『一泊朝食つきで五千円になります』なんて、いけしゃあしゃあとぬかすんです」

「あっはっは、こりゃあいい。五千円なら、ここらの民宿より安いかもしれませんよ」

 登志夫が合いの手を入れて、卓上の会話は予想以上に弾み、気がつくと五時をまわっていたが、その時刻にしては外が薄暗い。

 日中、あんなに晴れていた空にはいつの間にか鼠色の雲が垂れ込めて、ぽつりぽつりと雨も降り出した。急いで走り寄った唯が窓を閉めると、ガラスに張りつく水滴の数は瞬くうちに増えて、あっという間に土砂降りになった。

 時計を見やった宣昭はコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「天気が悪くなってしまいましたね。総一朗先生たちも今夜はどうかここにお泊りになってはいかがですか? 五千円×二で、一万円が浮きますよ」

 総一朗と二人きりの夜なんてとんでもない、もとより従う気のなかった創には願ってもない申し出である。

 冗談混じりに勧めてくれる宣昭の厚意はありがたいが、しかし、予定外の宿泊者の存在は迷惑ではないのかと問うと、

「いえいえ、もっとゆっくりとお話が伺いたいという、私の我儘ですよ。部屋数は八つあるし、ちょうどいい。今日中に片づけなければならない仕事があるので、少しの間失礼しますが、夕食までどうかごゆるりとお過ごしください」

 白い稲妻が走り、雷鳴が轟く。とうとう嵐になった。庭の草木は激しい風になぎ倒され、木の葉が翻弄されて舞う様が見える。ここまで酷い状況になってしまっては自分の別荘に戻る気力もなくなったのか、総一朗もとうとう宿泊を決めた。

 ホールの左に三つ並んだ部屋のうち、玄関に近い方から宣昭の書斎、次が寝室、その向こうが薫の自室として使われている。後姿が書斎の中へと消えると、圭介たちはソファに戻り、創と総一朗、登志夫がテーブルに残った。

「ねえ、退屈ぅ。テレビかけようよ」

 彩音に促されて、圭介がリモコンを手にしたが、チャンネルをあちこちに変えては、どれも面白くないと文句をつけた。

「歌純ちゃんはどうしたのか、誰か聞いているかな?」

登志夫の呼びかけに振り向いた良太は「どうしても抜けられない仕事が入っちゃったんで、終わったら来るそうです。少し遅れるからと、先生と薫さんにも伝えておきました」と答えた。

「来る、って、どうやって?」

「そりゃあバイクでしょう。この辺りはツーリングで来たことあるから大丈夫だ、って言ってましたけど」

「こんな嵐になってしまったのに、かい? 事故でも起こしたらどうするつもりなんだ、あのお転婆娘め、困ったもんだよ」

 監督は大袈裟に溜め息をついた。歌純ちゃんというのは登志夫が自分の映画で何度も起用した女優の松崎歌純(まつざき かすみ)で、招待されていた六人目のメンバーだった。

 年齢は二十七歳。デビュー当時は清純派で売っていたが、今は頼れる姐御タイプへのイメージチェンジを図っている。身長は高く、百七十近くあるのだが、スレンダーな身体の、その細腕で大型二輪を操る女傑でもあった。

 歌純の演技力には定評があり、若手女優の中でも有望株と言われていたが、近頃は後輩たちに押され気味で、特に彩音とはライバル関係にあると専らの噂だ。これまで自分に依頼されていた仕事が彩音に取って代わられるなど、歌純にとっては面白くない場面も多々あったようである。

「たしかに心配ですけど、たぶんもう、出発していると思いますよ。何ならケータイにかけてみましょうか?」

 良太の申し出に、登志夫は渋い顔で首を振った。

「いや、いい。運転中だと困るからね」

(運転中のケータイは禁止だけど……)

 登志夫の過剰な反応が創には異様に思えた。歌純の行動について、自分よりも良太の方が詳しいという点が不満である、そんなふうにも見える。

「ニュースに変えようか」

 番組の終わり頃にたいていは天気予報が放映される。それを観たところで嵐が収まるはずもないけれど、圭介はニュース番組にチャンネルを合わせた。

 ボヤ騒ぎを何度か起こした連続放火魔が逮捕された、都内の駐車場で車の盗難が相次いだ、といった小規模な事件の報道に続いて、国会で審議案が可決された等のニュースが流れる。明日の天気は『今夜に引き続き雨』という予想であった。特に、伊豆地方に限っては強風波浪に雷雨の注意報が出ているというおまけつきだった。

「明日も雨かぁ」

 うんざりした表情で圭介が再びチャンネルを変え、疲れた様子の彩音と唯がそれをぼんやりと眺めている。ガラス越しの雨音とテレビの音だけが室内に響いて、口を開く者は誰もいなくなった。

 明日も雨と聞いた創は総一朗の方を向くと「ゼミ旅行は大丈夫なんだろうな? まさか豪雨のため中止、なんてことになったら、どうするんだよ」と訊いた。

「大丈夫よ。そのときはウチの別荘で……」

「てめー、まだあきらめてなかったのかよ。さすがにしぶといな」

 小さな声で会話していたつもりだが、創の言葉を聞き咎めた圭介が「その人は君の先生なんだろう? そういう口の利き方は失礼じゃないのかい」と批判した。

 とたんに、ぴりぴりとした空気が漂う。返事に困っていると「あら、いいんですよ」と総一朗がとりなした。

「この子にはタメ口オッケーって、アタシが許可してるんです。許可というよりは、そうして欲しいって頼んだの。他人行儀にされるよりはその方がマシだから」

「カレシだもんね」

 彩音が茶々を入れる。この場にいる全員に妙な誤解を与えてしまった結果になり、閉口する創と、面白くないという表情で顔を背けた圭介。そんな雰囲気の悪さを払拭しようと「今のうちに部屋へ荷物を運んでおいた方がよさそうですね。ボクたちはここへ着いたときにさっそく済ませておきましたから、お手伝いしますよ」と良太が言い出した。

 その提案にうなずいた登志夫と総一朗、創が席を立つと「じゃあ、アタシのも運んで」と彩音が甘えた声を出した。

 薫はキッチンに入ったままで、こちらへ出てきそうにない。十名もの食事を用意するのは大変な作業なのだろうと、気を利かせた良太はそちらへ行って了解を得ると、自ら案内役を買って出た。それからホールに置かれた彩音の、いかにも重そうなボストンバッグの持ち手を握ると、あとの三人もそれぞれ自分の荷物を持った。

 誰も通らない奥地で、まさか盗まれることはないだろうと思いながらも、念のために荷物を持って上がったのは正解だった。嵐が吹き荒れる中、いくらすぐ傍の駐車場でも取りに出るのはかなわない。車に乗せたままにしなくてよかったと創は安堵した。

 この別荘の客室はすべて二階にある。何度も繰り返すようだが、元がプチホテルなので八つもの部屋、客間が用意されているのだ。ホールの先、北側の端に突き当たった位置に階段があり、上りきると一階同様、天井と足元からの間接照明に照らされたホールがフロアを縦断して、ベランダへの出入り口の前まで続いている。

 つまり、二階の面積はベランダの分だけ一階よりも狭いのだが、それでもかなりの広さで、ホールに分断された左右にそれぞれ四つずつの、同じ大きさの部屋がある。四つの部屋は一メートルほどの廊下を挟んで、二つずつ向かい合わせになっている。上から見ると、ホールと廊下が十字に交わっている形になるわけだ。

 ベランダに向かって左が男性スペース、右が女性スペースと、暗黙のうちに決められたらしい。男性スペースのベランダ側、南向きの部屋は早い者勝ちで圭介と良太が獲得していた。

「ああ、私はこっち側でいいよ」

 北向きの部屋のうち、奥の方へと登志夫が入った。その向かいが良太の部屋になる。

「じゃあ、アタシたちは……」

「アタシたち、って、何でオレと同じ部屋に入ろうとするんだよ!」

 隣の、ホール側の部屋の前で総一朗を押しとどめた創は文句を言った。

「だって、残りはこの部屋だけでしょ?」

「じゃあ、オレは右の方へ行く」

「それはダメよ! あっちは女の人たちが使うんだから」

 女性スペースの南向き奥は唯に決まっていたために、隣のホール側の部屋へ彩音のボストンバックを運び入れてきた良太が二人のやり取りを聞いて苦笑した。

「それじゃあ、北側の奥を歌純さんに使ってもらって、総一朗先生が手前側というのはいかがですか?」

 男が入るよりオカマが入る方がマシ、といったところか。良太の采配はなかなか的を射ている。総一朗は不承不承ながらも納得すると、ホールを横切ってあちらの部屋へと消え、彩音に部屋の鍵を渡すために、良太は階段を下りて行った。

「まったく、油断も隙もありゃしないぜ」

 あらかじめ鍵穴に差し込まれていた鍵を抜き取ると、創はその中へと入った。客室の広さは十二畳ほど。ツインとして設計されていたから、一人で使うには贅沢な場所である。部屋のひとつひとつにユニットバスが設置されているのもホテル並みの設備で、ここが風呂、ここがトイレと、創は子供が初めて訪れた場所を探検するように、室内を見てまわった。外からは三階があるかのような窓が見えたが、ロフト用ではなく、ただの飾りのはめ殺しで、北側にひとつ、窓があるだけだった。

 ユニットバスのスペースとクローゼットは東側に、西の壁沿いにセミダフルのベッド、クリーム色のカーテンがかかった北の窓辺には小さなテーブルと椅子。予備の折りたたみ椅子も二脚、壁に立て掛けられている。それらの調度品のすべてがリビングと同様に輸入家具で、ヨーロッパ風を追求する姿勢はここでも健在である。

 宣昭の説明にあったように、壁には小さな額に入った油絵が掛けられ、木製のテーブルの上にもリビングで見たものと同じようなデザインのアンティークが飾られていた。どれだけ値打ちのある物が知らないが、目利きでも何でもない創の目には出来損ないの花瓶としか映らない。

 その他には便箋にも使えそうなメモ用紙とペン、電気スタンド、灰皿、カバーのかかったティッシュペーパーの箱などで、椅子の上にリュックを置いた創はローズ色のベッドカバーの上にどっかと腰を下ろした。

「あー、疲れた」

 思いがけないところに来てしまったが、高級リゾートホテルに宿泊したようで、それはそれで満足だった。

 窓の外では相変わらずの勢いで嵐が吹き荒れている。ゼミ旅行の一行に合流して、その後の日程を楽しく過ごすためにも、天気の回復を望みたいところだが、この分では期待できそうにない。

 しばらくしてドアをノックする音がした。

「創くーん、中に入れて」

「やだ」

「意地悪言わないでよ。レイアウトがどう違うのか、見たいだけなんだから」

「しょうがねえなぁ」

 いくらなんでも、他人様の別荘で不届きな所業に及ぶことはないだろうと思い、創は立ち上がった。ノブのサムターンを回すと、隙間から総一朗が顔を覗かせてにっこり笑った。ジャケットは部屋に置いてきたらしく、上は赤いTシャツだけの格好になっている。

「……なあんだ、位置が反対なだけで、置いてあるものはほとんど同じね。カーペットやカーテンの色も一緒。絵も同じような風景画だし、机の上の置物が違うだけね。つまんないの」

「どうせ潰れたプチホテルの備品をそのまま使ってるんだろ。そんなの、どうでもいいじゃねえかよ」

「そのプチホテルが何で潰れたか、理由がわかった気がするわ。きっと間取りが悪かったせいよ。ここって八部屋のうち、四つが北向きでしょう」

「まあ、そうだけど」

「この部屋が薄暗いのは天気のせいだけじゃないわ。全室南向きとか、オーシャンビューが宿の売り文句、お客へのアピールになるのに、半分も北向きじゃあ、お話にならないってことよ」

「そりゃ一理あるかもな」

「オーナーの料理の腕が悪かったって可能性もあるけどね」

 もっとも、別荘として使う分には問題はない。八名もの宿泊客など、普段は有り得ないものだ。

「せっかくだから、監督の部屋も見せてもらいましょうよ」

 二人が連れ立ってノックをすると、タバコをくわえて、すっかりくつろいだ様子の登志夫がどうぞどうぞと招き入れてくれた。

「あら、ここのお部屋は窓が二つあるのね」

「角部屋ですから、そうしたんでしょう」

 テーブルの位置は同じだが、東と北、両方向に窓があるのと、水を使う音が隣に響かないようにという配慮もあって、ユニットバスとクローゼットは西側、創の部屋とは対称の配置になっている。

「初めてのお宅で吸っては失礼かと思って、ずっと我慢していたんですよ」

 折りたたみ椅子を出してきた登志夫に勧められて、その椅子に座った総一朗もタバコをくわえると、紫の煙を吐き出した。

 オカマ教授、じつは大変なヘビースモーカーで『健康のため吸い過ぎに注意しましょう』というポスターが研究室の壁の目立つ場所に、学生たちの手によってこれ見よがしに貼ってある。

「ところで……」

「何でしょうか?」

「アタシたちがつまらない発言をして空気を凍結させないためにも、知ってることを洗いざらい話してくれるかしら」

 こいつ、何を言い出すのかと不審に思う創だが、登志夫にはその意図がすぐに飲み込めたようだ。

「さすが、総一朗さんですね」

 頷いた登志夫はオカマ教授に尊敬の眼差しを向けた。家族ぐるみのおつき合いというやつを実践しているうちに、恩ある上司の息子の頭脳明晰ぶりに心酔するようになったらしい。

「夕食が始まる前の、三人だけの今がチャンスだと思ったのよ。さっきはあの彩音って子がいたからだって、わかってはいたけれど、奥歯に物が挟まった、っていうか、あんなまどろっこしい説明じゃあ、納得いくはずがないわ」

 まずは映画化のきっかけからお願いねと言われて、登志夫は困ったような、弱々しい笑いを浮かべた。それは創も気になっていたところである。吸殻を揉み消した登志夫はゆっくりと口を開いた。

「今回の映画の話を持ちかけた当初も、三島先生は渋い顔をしていたらしいんですよ。どうでもいい、面倒臭いと思っていたのかどうか知りませんが、主役のエリナ役に歌純ちゃんを、という提案を聞いて俄然、乗り気になりましてね」

「松崎歌純のファンだったというわけね」

「初恋の人にそっくりだとか、いろいろおっしゃってましたけど、別れた奥さんとは似ていないようです」

 自分のセリフに苦笑しながら、登志夫は話を続けた。

 歌純がエリナ役の候補に挙がったのは初めてのようで、ところが、あちらこちらの関係方面から、役柄のイメージに合わないという横槍が入った。やはりオーディションをやるべきだ、やらないうちから歌純に決めるのはどうかという批判もあった。

「お金持ちのお嬢様がモデルやってて、いかにも頭が悪そうなのに、天才的推理力の持ち主っていう設定自体、おかしな話だと思うけど、みんな、そこはツッ込まないのね」

「それを言ってしまっては、おしまいですからね」

 派手好きで金遣いも荒く、我儘で高飛車なお嬢様という役柄は確かに歌純よりも彩音にぴったりである。横槍のひとつは恐らく、彩音の言うところの、事務所の社長から入ったのだろう。

「セレブ探偵のキャラに女優を合わせるんじゃなくて、自分の好みの女優を主人公のモデルにすればよかったのにね。今さらの結果論だけど」

「それはまあ、そうですが、エリナの、あのキャラだからこそ、作品が当たったんだと思いますよ」

 宣昭の意向を汲みたいのはやまやまだが、歌純の起用で映画そのものが失敗しては元も子もない。

 それならばエリナに抜擢しなくてもいいから、とにかく歌純に直接会いたいとごねる宣昭のために、エリナとゲン候補をパーティーに招待するという、強引とも思える企画が考えられたのである。エリナ役に決まったわけでもないのに、歌純一人を招待するのは不自然であるし、そういう誘いがあったと、いくら秘密にしたとしても、どこかでバレるものだ。

 それに、一人でここまで来いと言われて、本人が承知するとも思えないし……といった理由から、これだけの大人数の招待となったのだが、三島センセイは薫という愛人の目の前で、歌純を口説く心積もりがあるのか。単に会いたいというだけのミーハー根性で、それで満足なのか。

 訊きたいと思いながらも口にするのは憚られて、創は黙ったまま、登志夫の話に耳を傾けた。

「唯ちゃんも一応候補には挙がっているのですが、まだ新人ですし、やっぱり本命は彩音ちゃんでしょう。弾みで主役を射止めた日にゃ、どんなイジメを受けるかわかったものではないし、本人も望んではいないと思います」

「単なる頭数合わせね、気の毒だわ。で、皆さんの男女関係は?」

「そいつも白状しなくちゃなりませんか? マイッたなぁ」

 登志夫は頭を掻きながら、何本目かのタバコに火をつけた。

 数年前まで圭介は歌純とつき合っていた。ところが、あとから台頭してきた彩音に心を移し、歌純を捨ててそちらへ走ったらしい。しかし、肝心の彩音は「お友達の一人よ」としか言ってくれないので、イライラしているというのが現状だ。

「今回の映画ではエリナの他に、恋人のゲンも重要な役ですからね。圭介くんが狙うのは当然でしょう」

 役の上でも、プライベートでも彩音の恋人というポジションは圭介にとって、喉から手が出るほど欲しいものに違いない。最近は活躍の場が少なくなっているし、一人の二枚目俳優としても起死回生の役どころだ。

「またしても『ところが』ね。ゲンのキャラは清水圭介には似合わない」

「そうなんです」

 登志夫は大きく頷いた。

「新聞記者という職業のわりに、ドジでおっちょこちょいなゲンはファンの間でけっこう人気がありますし、中年女性にもウケるという、親しみやすいキャラクターのイメージを壊すわけにはいきません」

「で、適任者がいた。蒲原良太ね」

「良太くんは彩音ちゃんに言い寄った過去がありますから、圭介くんにとっては要注意人物なんですよ」

 映画の役のみならず、恋人まで良太に盗られてはたまらない。圭介がカリカリするのも当然だ。

「それで、創にもムキになって絡んだってわけね」

「私の冗談を真に受けて、創くんをスカウトするつもりだ、ゲンの役も持っていかれるかもしれない、と危惧したんでしょう。『岡部監督、稲垣ゲン役に無名の新人俳優・加瀬創を抜擢』ってな具合にね」

「創にゲンは似合わないわよ。ドジなところは似てるけど」

「言ったな、ジジイ!」

「まあまあ、二人とも」

 彩音に言い寄ったはいいが、相手にされなかった良太の現在の恋人が唯で、その存在があるために、一緒の車で来るなど、圭介と良太は表面上仲良くしている。しかし、エリナとゲンが彩音と良太に決まれば、万が一の展開もありで、みんなの関係はどう変わるのかわからない。

 また、仕事上でライバル関係にある彩音とは圭介を巡ってもライバルだった歌純、彩音に対しての憎しみはいかばかりかと思われるが、今は誰ともつき合っていないフリーの状態である。

 圭介と別れたあと、歌純が良太にモーションをかけたという説もあるが、真偽は定かではなく、良太は唯の元へ。ただし、唯とつき合っている今でも、良太が彩音に未練を持っているのではという、もっぱらの噂だ。

 そんなワケありの男女が一斉に集まっているとなると、タダゴトでは済まない感じがしてくる。誰が誰とどうなっているのか、交遊図でも描いてみなければ、わけがわからなくなりそうだ。

「なんだか複雑怪奇だな。自分たちが演じているドラマよりも、私生活の方がドラマみたいじゃないか」

「そうよね。岡部監督自ら、やらかしてくれてるし」

 とたんに、登志夫はあたふたした様子をみせた。

「そっ、それはどういう意味ですか?」

「隠しても無駄よ。松崎歌純とそっちの関係があるんでしょ、さっきの良太への対応を見て、ピンときたの。今度こそ奥さんにチクリね」

「えっ、ええーっ」

「お子さん、お幾つになられたんだっけ。中学生? 多感な年頃よねー、ショック受けるわよ。あーあ、可哀想」

 今日ここに集まっているメンバーのうち、唯一の既婚者にして妻子持ちは拝み倒すポーズをとった。

「勘弁してくださいよー、総一朗さん。頼みます、このとおり」

 あれはほんの出来心で、と言い訳する登志夫を見下すように「男って生き物はこれだから」と総一朗は言ってのけた。

(男って生き物、か。自分は超越しちゃってるからなぁ)

「創、何か言った?」

「な、何も申し上げておりません」

「よろしい」

 ところで、と総一朗は話題を変えた。

「マネージャー抜きの集まりだって言ってたけど、そんなことしてもいいの? 電話もないし、居所がわからないなんて、何かあったら向こうは困るんじゃない?」

「それぞれのマネージャーに一応は場所を伝えてあるみたいですが、別荘の写真を持っているのは招待客だけなので、探してここまで来いと言われたら困るでしょうね」

 歌純のマネージャーだけは何があっても、這ってでも来るだろうけど、と登志夫は付け足した。

「よくバイクで行くのを許可した、それ以前に、たとえ泊まる部屋がなくても、野宿をしてもいいから自分も絶対について行く、と言い出さなかったと、呆れるやら感心するやらですよ」

「そんなにうるさいの?」

「金谷礼司(かなや れいじ)という名前で、チンピラまがいの、得体の知れない男です。歌純ちゃんにはそれまでベテランのマネージャーがついていたんですけど、二年ほど前に辞めて、代わりに金谷がつきました」

 マネージャーになる前は何をやっていたのか不明なので、登志夫は得体が知れないと酷評したのだ。

「歳は三十前だったかな、図体ばかりデカい能無しで、よくもまあ、こんな男に仕事を任せていると言いたいところなんですが……こいつが歌純にとことん惚れていましてね。で、どういうつもりか、歌純もヤツを気に入っているみたいで、男女の関係もあるらしい。まったくモノ好きな女ですよ」

 またひとつ、交遊図に描き込む関係が増えてしまった。それでは、関係があったという登志夫も、歌純目当ての宣昭も、マネージャーの金谷氏にとっては大切な女に近づくバイ菌。そう扱われる可能性大ではないか。

「まあ、各自携帯電話を持っているし、連絡がどうこうというのは大丈夫ですよ」

「ふうん。たしかにそういう手があるから、電話がなくても平気よね。こんな辺鄙な地域でも電波が入るなんて、大した進歩だわ」

「今やケータイが使えない場所を探す方が難しいんじゃないですか。先程お聞きしたんですが、機械の嫌いな三島先生本人は所持していませんけど、薫さんがケータイを持っているそうです。ここに電話がなくても大丈夫な理由ですね」

 別荘のように、たまにしか訪れない場所に普段は使わない電話を契約して、料金を払うのはもったいない。携帯電話があればコトが足りるという理屈は確かにそのとおりである。

「薫さんの番号は先生の御両親といった、必要な人にだけ伝えてあるようです。出版社の方などは知らないでしょう」

「締め切りの催促はできないようになっているのね」

 話し込んでいるうちに、夕食の準備が整ったからという連絡があり、三人は階下のリビングへと向かった。

 ミステリ作家の別荘を舞台にしたミステリ劇場、いよいよ幕開けである。

                                 ……③に続く

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